最終更新日:2024年11月6日
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昭和13年(1938年)7月3~5日にかけて、台風に刺激された梅雨前線は神戸市に集中豪雨をもたらし、死者616名、被災家屋は約9万戸にも達する大水害が起きました。
川はあふれ、岩や倒れた木が混じった土石流が市街地に流れ込み、周辺は見渡す限りの泥の海となりました。
この災害を契機として六甲山系の砂防事業や表六甲の河川改修事業が国や県により本格的に行われることとなりました。
阪神大水害とその後の復興
昭和13年の阪神大水害の写真は、神戸災害と戦災資料館でもご覧いただけます。
昭和36年(1961年)6月24~27日に発生した集中豪雨により、死者26名、被災家屋は約2万戸に及ぶ水害が起きました。
宅地造成現場や傾斜地での被害が大きく、また山陽電鉄は約半月間不通になるなど、阪神大水害に次ぐ記録的な被害を受けました。
宅地造成等規制法制定のきっかけとなりました。
神戸の自然災害
昭和36年水害の写真は「神戸災害と戦災資料館」でもご覧いただけます。
昭和42年(1967年)7月9日、熱帯低気圧となった台風7号が西日本に停滞する梅雨前線を刺激して集中豪雨をもたらし、死者84名、被災家屋は約4万戸に及ぶ水害が起きました。
昭和13年(1938年)の阪神大水害のデータと比べると、1日当たりの雨量や1時間当たりの最高雨量は阪神大水害を上回りましたが、被害は阪神大水害よりかなり小さくてすみました。
これは昭和13年以降の河川改修や砂防・治山事業の効果が現れたためと考えられています。
政令市による河川改修制度の創設(昭和45年(1970年))のきっかけとなりました。
神戸の自然災害
昭和42年水害の写真は、「神戸災害と戦災資料館」でもご覧いただけます。