最終更新日:2024年10月25日
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神戸市には多くの地下河川がありますが、川はオープン(開渠)であることが原則です。
では、なぜ川を地下化した例がたくさんあるのでしょうか?
一つの大きな理由は、明治から続く都市化でした。
人口が増え、交通量も増えてくると、町を分断して流れる川はジャマモノと考えられたのです。
そして上にはフタをされ、そこが道路として利用されました。
しかし、そのツケは昭和13年(1938年)の阪神大水害など大規模な水害という形ではね返ってきます。
「阪神大水害」では、既に地下化されていた生田川に六甲山の土砂が大量に流れ込みました。
周辺市街地は大きな被害を受け、川を地下化することへの反省も生まれました。
<阪神大水害直後における三宮駅周辺の様子>
ちなみに生田川は、その後、再整備されましたが、その時はもちろんオープンになりました。
<生田川の河床(川底)から新神戸駅を望む>
今では、川を単純にジャマモノと考えてフタをするようなことはありません。
それでも、川がもともと市街地を流れているために、幅を広げたり掘り下げたりできない場合もあります。
そのため、やむを得ず地下河川として改修した例もあり、鯉川や北野川(どちらも中央区)がそれに当たります。
地下河川で整備するのはメリットもありますが、それが可能になるためには前提条件があります。
神戸市の場合、今まで長きにわたって治山や砂防事業を実施してきたことがその前提条件に当たります。
つまり、市街地の背後にある六甲山全体には、600基以上の砂防堰堤(えんてい)が造られており、雨が降っても土砂が流出しにくいように整備されているということです。
さらに、川が地下にもぐり始める場所には沈砂池・流木止めを作ることや元の川はできるだけ残すことを原則とし、川の地下化によって万が一にも危険が増えることがないようにしています。
<その下を「鯉川」が流れる「鯉川筋」(大丸・神戸店の西側)(左)と、北野川の沈砂池(右)>