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BE KOBE神戸の近現代史

慶応3年12月7日(1868)

兵庫開港(神戸開港)

徳川幕府によって200年余り続いた鎖国政策は、嘉永6年(1853)浦賀に米国東インド艦隊司令長官ペリーが率いる黒船の来航によって、終わりを迎える。ペリーらは、清国との貿易と捕鯨の中継地として日本を開国させる必要があり、外圧に屈した徳川幕府は、嘉永7年(1854)には日米和親条約を締結し、下田・箱館の両港を開港することになった。さらに安政5年(1858)には、武力を背景に自由貿易と開港場の追加を迫られ、日米修好通商条約の締結を筆頭にオランダ・ロシア・イギリス・フランスと同様の条約(安政の5ヵ国条約)を締結し、箱館のほか、神奈川、長崎、兵庫、新潟を開港場とすることとなった。

条約では、西暦1863年1月1日に兵庫港を開港することとなっていたものの、攘夷運動の隆盛、貿易が開始されたことによる国内経済の混乱、兵庫港が朝廷のある京都に近いこと等により、開港の勅許が中々得られず、最終的には、第15代将軍徳川慶喜の強い勅許の働きかけにより、遂に慶応3年12月7日(西暦1868年1月1日)に兵庫(神戸)港が開港した。

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