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新修神戸市史
能福寺にて(兵庫区北逆瀬川町)
神戸市内に残る洋館の中で最も古い旧神戸居留地十五番館
明治元年に明親館を開校した
2代目神戸市長で「教育市長」と呼ばれた
明治4年3月に着工し、同年6月に竣工
明治中期に撮影されたもの
追谷墓園にて(中央区神戸港地方)
中央区栄町通7丁目
現在の中央区相生町1丁目
現在の中央区橘通1丁目(神戸地方裁判所の東隣)
現在の兵庫区松本通1丁目(湊川中学校)および荒田町1丁目(兵庫区役所)周辺
現在の中央区加納町6丁目(旧市役所2号館)
平成元年に完成
明治20年にパーマーに水道布設の設計を依頼(多額の費用がかかることから市民の理解がなかなか得られず、一度頓挫した)
明治25年にバルトンに水道布設の設計を依頼
明治33年3月24日に開催
中央区浪花町(旧神戸居留地十五番館前)
明治33年に建設
布引渓流の水を浄水し、製造
和田岬消毒所で生存者の治療を行った
市会議員、国会議員を経て8代目神戸市長を務めた
明治16年10月 東京にて
神戸市立外国人墓地にて
神戸写真帳より
大正7年10月25日の記事
会下山トンネル
大正元年に設置
大正11年10月に撮影
昭和42年水害
昭和36年水害
1945年6月5日撮影
川西航空機甲南製作所が疎開させていたジュラルミンを復興資材とした
神戸駅前付近
土砂の海上輸送に使用された
12代目神戸市長で「技術屋市長」と呼ばれた
昭和60年に撮影