兵庫港の歴史を振り返ると必ず出てくるのが、大輪田泊である。歴史上の文献で大輪田泊が初見されるのは弘仁3年(821)で、日本後紀に国営による修築工事が行われたことが記載されている。その後、平清盛によって大輪田泊の大規模修築が行われ、日宋貿易の拠点港として栄えた。彼は承安3年(1173)には、「兵庫津」と名付けている。平家の滅亡後は、東大寺の僧・重源により引き続き修築事業がすすめられた。室町時代には足利義満による日明貿易の拠点となり、その後応仁の乱の戦禍をかぶり大きく衰退したものの、江戸時代中期以降、灘の生一本の江戸送りが盛んになり、樽廻船や菱垣廻船によって物資が運ばれ、兵庫津は海上輸送基地としてにぎわった。
兵庫港は、和田岬により明石海峡の急流から守られた湾であり、海域の静穏が確保された「天然の良港」であったといえる。
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文久年間絵図