最終更新日:2024年9月19日
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2020年2月5日現在
須磨の地で100年近い歴史を持ち、阪神・淡路大震災後、「個」を尊重するという独創的な教育理念を持って再出発した須磨学園。生徒たちや地元への思いなど、ご自身も須磨で生まれ育った理事長の西泰子さんにお話しいただきました。
1922年、私の祖母・西田のぶが裁縫女学校として開校した時から数えると100年近くになりますね。早くに病気で夫を亡くした祖母は、「女性も手に職を付け、良き社会人として自立して生きよう」という思いを持っていたのでしょう。千守町で開校し、その後2度の移転を経てこの地に校舎を建てました。
何もない、ただただ広い山林。その山を削りながら10年近くかけて順次校舎を造りました。当時の生徒たちが、平和台の校舎から自分で椅子や机を持ち、坂道を登って運んでいる様子が写真に残っています。
阪神・淡路大震災の直前に父が病気で倒れ、私は仕方なく戻ってきていました。学校運営にはそれほど興味がない、そんな私を変えたのは震災です。被災して大変な状況にあるにもかかわらず、学校に駆け付け、生徒たちの安否確認に奔走する先生たちが、「頑張れば何でもできる」という気持ちにさせてくれました。
校舎内部の大規模な補修改修工事に取り掛かるに当たって、「女子校では今後経営に限界がくるだろう。これを機に男女共学にしよう!」。とはいえ、元は女子校ですから、できるなら争いごとは好まない、優しい男子生徒に入学してきてほしい。それを意識して学校案内を制作したところ、不思議ですね、優しい男の子たちが入ってきてくれました。
1999年、退路を断っての再出発でしたから「あなたが、なりたい自分になるためなら、私たちは何でもやります」という思いでした。教育の目標を「自己実現」に置き、「個」を尊重して生徒一人一人が持つ目標を実現させる学校が一つぐらいあってもいいんじゃないかと考えました。
「そして…」は、一人よがりな「なりたい自分」になるのではなく、社会や人との関係を考え、周りの人たちを幸せにできる「なりたい自分」を目指そうという思いを込めて、後から書き加えました。
学校は社会の縮図です。自分が今属しているグループの中で、どういう役割を担うのかを考える機会を普段から作っています。そこで、自分のやりたいことをどんどんやっていけばいいんです。利害関係が介在する社会では失敗は許されませんが、保護者や私たちに守られている学校なら「失敗して良かったじゃない」と言えます。人は失敗から学ぶものですから。
目標は大学受験ではなく、「なりたい自分」です。そのために何をしなくてはいけないか?方法を調べて、決めたら、今やるべきことは何なのかを自ら具体的に考えるのがプロジェクトマネジメント(PM)。自身でスケジュールを管理し、時間の使い方を分析するのがタイムマネジメント(TM)。こんなふうにして自分の目標に向かってやる気になれると、子どもたちは伸びます。
一日のうちで一番よく頭が働くのは昼間の時間帯です。中高6年間、難し過ぎたり、やさし過ぎたりする授業を聞き流すような時間の使い方を子どもたちに強いるのはかわいそうです。本校では習熟度別の事業展開をしています。生徒たちはそれぞれが自分よりちょっとだけ上のレベルのクラスで1日7コマの授業を必死で聞いています。なおかつ、午後9時まで自習室を開放していますし、必要に応じて特別講座を受けることもできます。学校で全てが完結します。
時間を有効に使うと、自ずと余裕ができてきますからいろいろなことに挑戦できます。国際理解教育では、中2でアジア、中3でアメリカ、高1でヨーロッパへ行き歴史的に意味のある場所を訪ね、現地で学校交流をして、日本の紹介を英語でプレゼンテーションします。本校では中1から、英語で英語を学ぶ授業を導入し、自分の意見を話せる英語教育を目指しています。高校生英語弁論大会チャーチル杯では好成績を収めてくれています。
ご多分にもれず、私は思春期、地元にいることに息苦しさを感じておりました。大人になって改めて思うのは、海が近くて山もあって風光明媚。新しい街並みがあり、一ノ谷の源平合戦の舞台にもなったほどの歴史があるから古い街並みもあります。長い歴史がある土地柄だから”気”の通りが良いのでしょうか、須磨にはたくさんのパワースポットがあるようですね。実は、須磨学園内にもパワースポットがあるんです!私が力説しても、周りの人は笑っていますが。
長年にわたって生徒たちは、板宿駅から坂道を歩いて登校していますので切っても切れないご縁があります。ご迷惑をお掛けすることもあると思いますが、最近は商店街の皆さんから「須磨学園の生徒はいい子たちだ」とお褒めの言葉を頂いたり、「板宿の誇り」とまで言って頂くこともあります。本当にありがたいことです。