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BE KOBE神戸の近現代史

市域の拡大

昭和20年(1945)の神戸市域は、東西を旧六甲村から旧明石郡垂水町までとする、六甲山地の南側の帯状の土地に限定されていた。山地が広く有効面積が狭い特殊な地形から考えても、市域の拡張が必須であった。

そこで、市は「神戸市復興基本計画要綱」を定め「大神戸」建設の基本方針を示し、市の性格を「国際的貿易海運都市」とし、東北西の1市18か町村を編入対象に選んだ。

昭和21年(1946)に交渉を開始し、翌昭和22年(1947)3月に有馬町、山田村、有野村、神出村、伊川谷村、櫨谷村、押部谷村、玉津村、平野村、岩岡村を編入した。次いで昭和25年(1950)4月に御影町、魚崎町、住吉村を、同10月に本山村、本庄村を編入した。

合併交渉は常に円満に進んだとはいえず、例えば、御影町には「時期尚早」を理由に一旦合併を拒否されたが、国際港都としての神戸港の行く末を見据えて交渉が続けられた。また、こうした合併運動は戦前から続く特別市制問題や、戦後の町村合併促進法・警察法の実施からも影響を受けた。

昭和26年(1951)7月に道場村、八多村、大沢村を、昭和30年(1955)10月に長尾村を編入し、昭和33年(1958)2月に淡河村を加え現在の市域を形成するに至った。

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