震災により、産業・経済分野も大きな被害を受け、工業、商業、農漁業、観光業、雇用・就業など、幅広い分野での復興が必要となった。
経済復興については、医療産業など新しい動きが出たものもあるが、不況の長期化等の中で、市内事業者の懸命の取り組みにもかかわらず、震災後ほぼ2年間のいわゆる「震災特需」の期間を除いて、経済的な復興への道のりは厳しい状況が続いた。しかし、このような状況について、経済関連の主要な統計データをみると、10年目までには、概ね他の大都市と共通の動きとなった。
港湾貨物の状況
昭和50年代の神戸港は、ニューヨークに次いで世界2位のコンテナ取扱量を誇り、世界を代表する国際貿易港であった。しかし、日本経済や産業を支え発展を続けてきた神戸港は、震災により壊滅的な被害を受けることとなった。また、バブル崩壊による国内景気の低迷、地方港湾の整備進展、東アジア各国における大規模港湾整備に伴う国際トランシップ貨物の激減など、様々な要因が重なり、震災前後のコンテナ貨物量は震災前の平成6年(1994)に対して約70~80パーセントに低迷し、それが約10年間続くこととなった。これに対し、平成21年(2009)、国による「国際コンテナ戦略港湾」施策の方針が打ち出され、翌平成22年(2010)に、阪神港として国の国際コンテナ戦略港湾に選定され、神戸港は大水深、耐震機能を備えたコンテナターミナルの整備を進めるとともに、ソフト・ハードのあらゆる施策を官民一体となって進めてきた。その結果、開港150年となる平成29年(2017)に震災前のコンテナ取扱量を超え、過去最高を更新することとなった。
医療産業都市
震災によって大きな被害を受けた神戸の経済を立て直すための復興プロジェクトとして、平成10年(1998)に「神戸医療産業都市」構想がスタートした。その目的は、「神戸経済の活性化」「市民の健康・福祉の向上」「国際社会への貢献」であり、日本初の医療クラスターの形成を目指し、ポートアイランドに先端医療技術の研究開発拠点を整備し、医療関連産業の集積を図った。構想開始から20年以上が経過し、令和4年(2022)7月には約370の先端医療の研究機関、高度専門病院群、企業や大学の集積が進み、日本最大のバイオメディカルクラスターに成長している。
財政
震災による被害総額は10兆円にのぼった。震災は、市民の生活支援、公共施設の災害復旧、再開発や区画整理等の復興対策など、市に巨額の財政需要をもたらしたほか、人口や産業等における税収減により、財政難を強いられることとなった。当時、災害復旧は政府が支援するが、災害復興は自主財源でという原則が適用された。阪神・淡路大震災と東日本大震災を比較してみても、復興事業費のうち政府からの財政支援額の割合は神戸市と仙台市でそれぞれ約30パーセントと約80パーセントという大きな差があった。
神戸市の市債残高も急増した。震災前の平成5年度末で残高は約8,000億円だったが、平成9年度末には約1兆8,000億円と約1兆円もの増加となっている。財政指標も悪化し、起債制限比率は震災前の平成5年度15.6パーセント、震災後の平成10年度21.4パーセントと、20パーセントの制限を突破したが、復興事業推進の特別措置として、国から起債制限の緩和を受けることとなった。
神戸市は平成7年12月の「神戸市行財政改善緊急3ヵ年計画」から始まり現在に至るまで切れ目のない行財政改革に取り組み、この財政危機からの脱却を図った。平成7年には約2万1千人いた神戸市職員の定数は平成28年には約1万4千人と約33パーセント削減されたほか、外郭団体の削減や事務事業の抜本的見直し等の取り組みが行われた。
取り組みの結果、市債残高は平成17年度末で約1兆1,200億円まで減少し、それ以降はほぼ横ばいの数値となっている。市民一人当たりの市債残高を見てみても、令和2年度の政令指定都市の平均が74万8千円のところ、神戸市は77万9千円と政令指定都市の平均並みになっている。