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BE KOBE神戸の近現代史

日清戦争後の都市改造

急激に進む人口集中や経済発展に対応するため、神戸市は都市整備事業に取り組み始めた。日清戦争前の明治27年(1894)初頭には「神戸の五大私設事業」と称されるものがあった。市内電気鉄道敷設、海面埋立て桟橋架設、小野浜埋立て、湊川付替え、兵庫運河である。そしてそれらが整理淘汰されて、日清戦争後の明治29年(1896)から翌年には「神戸市三大事業」として、上水道工事、港湾修築、湊川付替工事があげられた。

神戸市において水道敷設計画が最初に持ち上がったのは、明治19年(1886)であった。そして、明治20年代にコレラ等の伝染病が大流行したことにより本格的な調査が開始されるなどを経て、明治30年(1897)に着工、明治33年(1900)に給水を開始することとなった。神戸港の貿易実績は明治20年代に急成長を続け、日清戦争後の明治31年(1898)には横浜港を凌駕した。日本を代表する大貿易港となったことを背景として、神戸の築港期成運動は高まり、明治39年(1906)に本格的な修築工事が始められた。

湊川付替えは住民らによる反対の声が強く、議論が高まっていたが、明治29年(1896)8月に湊川の堤防が100メートル以上にわたって決壊し、死傷者数百名、浸水8,000戸、流失橋梁6基という大水害が発生したのをきっかけに湊川付替工事の具体化が急速に進み、明治30年(1897)8月に湊川改修会社が設立され、明治34年(1901)8月に竣工した。

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