明治維新以降の神戸は、開港と居留地の完成に伴い、諸外国との貿易が活発に行われ、経済的に発展した都市として形成されていく。交易により、工業製品だけでなく、西欧から文化・スポーツも流入した。西欧文化の上陸地点となった神戸は、文明開化の発信地として発展していく。
西欧文化の流入について、衣食住の観点からまとめると、まず「衣」については、洋服や靴を着用する洋装化が進んだ。明治20年代に入ると習俗として定着が見られたが、男性に対して女性の洋装化は進まなかった。次に「食」については、牛肉の食用の風習が急速に拡大し、神戸肉の名声がたちまち全国化した。牛乳・パン・塩肉(塩漬け肉)の食用も牛肉と前後して普及した。ただし洋菓子だけは、瓦煎餅などの和菓子に圧倒されてしばらくは普及しなかった。最後に「住」については、官庁や学校など一部の象徴的な建築物を除いて、急速な洋風化は見られず、進み始めたのは大正時代に入ってからだった。
スポーツの流入は、居留外国人の影響が大きく、娯楽との関わりが深い。撃剣、演劇などの伝統的娯楽に加えて、居留外国人が始めたボートレース、乗馬、自転車、玉突などが、次々と流行・定着していった。また、日本で初めての活動写真も神戸で公開された。
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「摂州神戸海岸繁栄之図」