開港以来神戸は急速に発展したが、衛生環境の整備は遅れており、明治10年(1877)にコレラが流行してようやく衛生環境の整備の重要性が説かれるようになった。
明治18年(1885)に、横浜に近代水道の布設が決定すると、神戸においても水道布設の機運が高まることとなったが、巨額の経費が壁となり実現には時間を要し、神戸の近代水道が布設されるのは明治33年(1900)、全国で7番目の開通であった。
上水道の開通により、下水道についても整備を求める声があがるようになった。居留地には、イギリス人ハートの設計により西洋式下水道としては横浜と並び日本最古の下水道が布設されていたが、その他の市域については雨水の排水を目的とした下水道が整備されていたにすぎず、衛生上の観点での整備はされていなかった。多額の整備費用から、本格的な下水道整備事業が始まるのは昭和に入ってからのことであった。
また、開港当時の居留地は外国人の間で不衛生との風評があったことから、これに対応する形で兵庫県が明治2年(1870)に神戸病院を設立。明治10年(1877)のコレラ流行に対応する形で東山避病院(明治33年に神戸市立東山病院へ)を設置、大正13年(1924)には、人口増による衛生健康状態の低下を防ぐため、市立神戸診療所が設立されるなど、感染症の流行や神戸港の発展に合わせ、神戸市の都市基盤整備が進んでいった。