ホーム > 文化・スポーツ > 文化施設 > 谷崎潤一郎旧邸 倚松庵(いしょうあん) > 倚松庵の1階廊下
最終更新日:2024年9月30日
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或る日三人が六畳の間に臥(ね)ころびながら、いつものように掃き出し窓から流れて来る冷たい風を受けていると、庭から大きな蜂が一匹舞い込んで来て、最初に幸子の頭の上でぶんぶん云いながら輪を描き始めた。
「中姉(なかあん)ちゃん、蜂やで」
と、妙子が云うと、幸子が慌(あわ)てて起き上ったが、蜂は雪子の頭の上から妙子の頭の上へ、――そして又幸子の方へと、次々に三人の頭上を舞い舞いするので、裸も同然の身なりをしている三人は、部屋の中を彼方へ逃げ此方へ逃げして歩き廻った。蜂は三人を嬲(なぶ)るかのように、幸子たちが逃げる方へ逃げる方へと附いて行くので、三人がわあわあ云いながら廊下へ跳び出すと、蜂も跡を追って出た。
「あ、来たで来たで」
わあッ、わあッと云う声を挙げて、廊下から食堂へ、食堂から応接間へと駈け込んで来たので、ローゼマリーと飯事(ままごと)をしていた悦子がびっくりして、
「何やねん、お母ちゃん」
と云っている途端に、又ぶうんと来て、窓硝子(ガラス)に打(ぶ)つかった。
「あ、来たわ来たわ」
今度はローゼマリーに悦子までが面白半分それに加わった。五人は蜂と鬼ごっこでもしているように、きゃッきゃッと云いながら室内を逃げ廻ったが、蜂は一層その騒ぎに興奮させられて狼狽(うろた)えるのか、それともそう云う習性があるのか、庭へ飛び去りそうにしては又舞い戻って追って来る。
五人は又食堂から廊下を通って六畳へ駈け込む。そんな風に家中を行ったり来たりして揉(も)みに揉んでいるところへ、
「何やねん、あの騒ぎは」
と、ひょっこり板倉が勝手口から這入って来て、台所と廊下の境界の暖簾(のれん)の間から首を出した。今日も海へ誘い出すつもりと見えて、海水着の上に浴衣(ゆかた)を着、海水帽を被(かぶ)って手拭を襟(えり)に巻き着けていた。(中巻11章)
玄関を入ると真直ぐな廊下が奥まで通っている。<上本町の家>に代表される日本の商家の古い建物様式とも、また、付近の一般的な当時の農家の建築様式とも異なるそれは、<昭和初期の典型的な>住宅様式だという。大(だい)大阪(1920年代に流行した呼称)のベッドタウンとして急速に進歩しはじめた阪神間中流階級の、和洋折衷の新建築の典型であった。
真直ぐな廊下はその象徴。各部屋に行くのに別の部屋を通らなくてもいいように、しかも、和風建築の良さも取り入れて隣室との通路も必ず設けてある。即ち階下5室(食堂と台所も入れて)階上3室、合計8室全室、出入り口が2ヵ所以上あるのだ。西洋的合理精神と日本的協調精神の見事な調和である。